文芸春秋7月号に掲載されたジャーナリスト青沼陽一郎氏のレポートを読んだ。青沼氏は、「(高見運転士が)事故現場でブレーキをかけるタイミングを逸したのだとしたら、それは(日勤教育の反省文に書いた)自らへの戒めを破ったが故の不幸な結果である。」と書いている。青沼氏のこの結論には違和感を感じるがここでは言及しないでおく。
私が一番驚いたのは運転ミスを犯した運転士に対する再教育が20通に及ぶ反省文作成と指導教官の訓育に終始しているということである。常識的に考えれば、運転ミスは運転技術の未熟に起因するものであるから、再度、ベテラン運転士と同乗させ実地訓練を徹底するのが当たり前だと思う。頭ではわかっているが身についていないため信じられないようなミスが発生する場合が多いからだ。そのことは、運転免許とりたてのドライバーが起こす悲劇的な交通事故報道を見れば容易に察知できることだ。それなのにJR西日本の経営管理者は、観念的な日勤教育を国鉄時代から惰性で続けてきた。日勤教育の内容が反省文を書かなくては運転させない、運転士手当ても上げないではお仕置きと同じではないか。お仕置きをいくらやっても運転士の技量は上がるわけがない。技能向上の教育を怠り、運転士を精神的に追い詰めたJR西日本の罪は限りなく重い。
5月26日、私は尼崎脱線事故で長女容子さん(21)を亡くした兵庫県三田市の会社員、奥村恒夫さん(57)が毎日新聞に寄せられた手記をこのブログにコピーしておいた。その手記の冒頭で奥村さんは
「◇安全な国になれば、娘は笑ってくれる
私はこれは、単なる運転士のミスによる脱線転覆事故ではないと思っています。JR西日本は運転士の過失で処理しようとするでしょうが、正直言って殺人事件としか思えません。JRという会社の構造が生んだ殺人行為です。徹底的に糾明したいと思っています。」と書かれている。
私はこの手記をこれからも読み返すことによりこの事故を風化させないようにしていこうと思う。