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2009年 10月 26日
5:15起床、雨。
昨日は「音楽と身体」と銘打った音楽会に行った。 現代音楽の潮流についてプレレクチャーもあって 理解を深めることができた。 現代音楽は演奏者が寸劇などの動作をすることもあって、 視覚的、聴覚的にも楽しめる。 その源流はモーツァルトの「音楽の冗談」に求められそうだ。 ただ、作曲家の真情とか魂のあり様は聴き取れなかった。 最後の演目「モートン・フェルドマンのWhy Patterns?」で 舞踏家田中泯氏が踊り、自らの魂を紡ぎ出した。 音楽と身体が織り成すタペストリー、 どちらが図でどちらが地であるということはない。 舞踏家田中泯氏の舞踏に音楽と身体との融合を感じた。 そこに魂の現出をみた。 2005年 06月 18日 モーツァルトk522「音楽の冗談」 「モーツァルトにあやかりたい」と掲げながら、これまでモーツァルトについて書くことが少なかった。大天才であり、私にとっては神のような存在であるモーツァルトのことを、四の五の書くのはおこがましいという気持ちは未だに強いが、さりとて何も書かなければ私の胸のうちを知ってもらえる機会は永遠に来ない訳であり、これからは、信仰告白的な意味合いでモーツァルトの作品について、私の思い入れを書かせていただくことにする。 「音楽の冗談」はモーツァルト自らが1787年6月14日を完成日付としている。この日付は父レオポルドが亡くなった1787年5月28日から2週間ほどしか経っておらず、しかも、この曲は父の死後最初に作曲された曲で、誰に注文された曲でもないと言われている。また、現代の音楽評論家の楽曲説明にはこれは冗談音楽で、凡庸な作曲家・下手な演奏家を揶揄したものであると当たり前のように書かれている。私はこの楽曲の存在を知った10年ほど前から、モーツァルトが他の音楽家を揶揄しているとの批評に疑問を感じながら、この曲のCDがあれば買い求め聞きまくった。そうした中でわたしはオットマール・スウィトナー指揮、ドレスデン国立管弦楽団演奏に出会った。そして、この曲こそが父レオポルドへのレクイエムであると確信した。モーツァルトは父親を追慕し最後に泣き伏している。モーツァルトが自らの楽曲の中で素の感情を表しているのはこの曲を置いてほかにない。モーツアルトは父親の作曲した楽想を紡ぐうちに追慕の気持ちが強くなる。父を追っていくが父は振り返ることもなく暮れなずむ森の中にどんどん遠ざかっていき、やがて暗闇に消えてしまう。この一連の流れをモーツアルトはこの曲で表現し、自分の素の感情をその中に塗りこめたのである。そのことを私はオットマール・スウィトナー指揮のこのCDで感じとることができた。逆にオットマール・スウィトナーはおそらくモーツァルトが塗りこめたこの曲の真意を十分理解した上で緊張の糸を切らすことなく最後まで演奏しきったのだと思う。この真意を理解して演奏しているのは私の聴いた限りオットマール・スウィトナーしかいない。ほとんどすべての指揮者はこの曲を文字通り冗談音楽と捉え演奏している。モーツァルトの真意がわからずに演奏しているから、聴き手には何も伝わらない。モーツァルトがこの曲に自ら「音楽の冗談」と名をつけたのは自分がこの曲に塗りこめた真情をカモフラージュするためだったのではないか。そうであるならばこれまで多くの指揮者・演奏家がこの曲を前に右往左往し、真意をつかめないまま演奏に臨んだことになる。モーツアルトはそのような音楽家を揶揄したのだろうか。そんなことは決してない。モーツアルトは人を励まし・勇気づけ・慰めるといったことのために数多く曲を残した。モーツァルトは一曲といえども素の感情が露わになっている曲をそのまま残すことを潔しとしなかったのだろう。 私の聴いているETERNA社のCDは20分程のこの曲の前に、父レオポルド作曲の「おもちゃの交響曲」「田舎の結婚式」「そりすべりの音楽」を延々50分程入れている。ある意味度肝を抜かれる父の曲を50分ほど聴いた後に「音楽の冗談」を聴けば私の言わんとしていることをある程度納得いただけるのではないかと思う。因みに私はこのCDを10年ほど前、新星堂で1000円で購入した。 最後に、モーツァルトの真情を後世に伝える演奏を残してくれたオットマール・スウィトナー、ドレスデン国立管弦楽団ならびにETERNA社に敬意を表したい。
by wammy
| 2009-10-26 06:09
| モーツァルト
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