5:05起床、曇り。
今年最初のダリアが咲いている。
このダリアをいつ植えたか定かでない。
それでも毎年6月になると黄色で縁取られた赤い花をつける。
一重の清楚な花は我が家の夏の風物詩である。
今年の夏も百日草と共に彩りを添えてほしい。
今は紫陽花が盛りだ。
以前挿し木から育てた紫陽花が今では庭の片隅で
ピンクの花を咲かせている。
青紫だけではさみしいと挿し木したものだ。
その結果が今こうして花開いた。うれしいかぎりだ。
「庭は心の鏡」ふとそんな言葉が浮かんだ。
昨日ヨガ体操に行ったが体の柔軟性が増した。
というより自転車のおかげで腹の邪魔物がなくなったから
そう感じるのかもしれない。
いずれにしてもヨガのポーズが以前より決まるようになって
それぞれのポーズの効能が腑に落ちるようになった。
ヨガを続けることは裸体行者を訪ねることにつうじる。
そんな思いが浮かんだ。
2008年 09月 14日
26 裸体行者を訪ねて オネシクリトス 編集 | 削除
【問い】
すべてのきまりを拒むことは可能だろうか。
【答え】
現代の管理社会においてあらゆるきまりを拒むことは不可能である。
また、拒むことによって逆に自由を束縛されかねない。
無用の摩擦は避けたほうが良い。
ただし、法に触れないかぎり、精神面で、すべてのきまりを拒むことは可能である。
人為的なすべてのきまりを拒み、自然のきまりに順う。
自然のきまりはなんびとと言えども拒むことはできない。
自然のきまりはつくられたものではない。
自然のきまりは太古の昔より厳然とあるものであり、
未来永劫存在し続けるものである。
すべてのきまりを拒むことは自然のきまりにすべて委ねることだ。
インドの裸の賢者に「法にこだわりすぎているようじゃの。」と言われないように
日々を送る。